政治と歴史談義をする難しさinUS

最近、友だちと話をしていたときのこと。話の輪にはアメリカで生まれた韓国系アメリカ人とインド人、コロンビア人、あとは渡米して1年ほどのタイ人と中国人がいました。何気ない話から、突如韓国系アメリカ人の友だちが、”日本の首相がどっかの神社に行くと何か問題が起こるのは、なんで?”とサクっと聞いてきました。つまり、靖国神社の参拝の背景について質問してきたんです。中国人の目の前で。韓国系のアメリカ人はアメリカ育ちなので、特に歴史的背景には屈折した思いはないみたいですが、中国人の目の前でサクッと靖国の事を聞かれたのにはかなりビビりました。結局なるべく客観的な説明を簡潔にしました。要するに、第2次大戦時に首相だった人が祭られていることが問題なんだと。その間、中国人はずーっと目をそらしていましたし、何のコメントもしないようにしていたようです。

 こういうデリケートな話は、日本と韓国、中国の間だけではなく、他の国の政治についても起こり得ます。例えば、中国人同士で話をしていたところに会話に入ったときのこと。彼らは中国語で会話できるはずなのになぜか英語で話していたので、”なんで中国語で話さないの?中国人同士なのにさ”と特に深い意味無く効いてしまいました。すると、一人は”私は中国じゃなくて台湾人なんだ。別な国からきたんだよ”と答え、もう一方は、”別な国じゃなくて、一つの国、一つの中国で別な地方から来たんだよ”と被せるように言いました。例の”One China”ってヤツです。その答えを聞いた瞬間、”やばい、地雷を踏んだ”と思いました。話がそれ以上続かないように”OK, これ以上この手の話はしたくないから”と逃げましたが、今思えば、中国といえども色んな問題を抱えています。

 チベット問題が話題になったときには、研究所で働く中国人ポスドクがデモに参加するんだといきまいて出かけていきましたし、普段は仲良くやっているように見えても中国人と台湾人の人間関係は違ったり、中国人と中華系の他の国の人たちはまた別な人間関係があるようです。

 インド人とパキスタン人、バングラディッシュ人の間にも同様の微妙な壁があるでしょうし、恐らく中東にもあるでしょう。ロシアとその近隣諸国にはまだ戦争状態にある国にもありますし、アフリカの諸国には内戦でひどい疲弊した状況にある国はまだあります。実際アフリカからの政治亡命の人にあったりすることもたまにあります。南アメリカの諸国でも領土問題でもめている国もあるみたいで、そういう話には気をつけないといけません。かるーい気持ちで両者がいる前で持ち出す話題ではないですから。

 この手の政治や歴史が絡む話は、本当に親しい友達同士でしかしないようにしています。特に相手の出自、経歴、考え方が分らない場合は深入りしないようにしています。逆に、お互いを良く知っている友達同士では、地雷を踏むことなくいい会話になることもあって、話が弾みます。

 生粋の中国人と、生粋の韓国人と私(日本人)の3人でたまに歴史と政治、文化の話をすることがあるのですが、親しい友人ということもあり結構フランクに話ができます。基本的に歴史と政治の意見の相違はスルーで、3つの東アジアの国の文化の共通点、その共通点がどこから来たのか、どの辺が違うかという話になって盛り上がりました。韓国人が言うには、中国も韓国も日本の植民地になっていた時代があったので、日本の文化が強制的に入ってきて、それで似た感覚を持っているんじゃないかという意見でした。それもそうかもしれません。良くも悪くもその時代が影響しているのは否めません。それが言いか悪いかという話はするだけ無駄なのでしませんが、これだけ感覚が似ている国(特に韓国)があると言うのは、一種の驚きともいえます。中国や韓国の教育システムは、日本の学校教育のシステムとかなり類似しているのだそうです。あまり日本にいると分りませんが、韓国と日本の挨拶の習慣は驚くほど似ています。韓国人同士が集まったときにする年長者への挨拶、会釈、お辞儀など、まるで日本人を見ているようです。

 まあ、いつまでたってもこの手の話はなくならないでしょうから、うまくやっていくしかないのですね。