大学院の違い、日本とアメリカ

 日本の大学院のシステムはアメリカとは大分違います。これについては既に記載が色々なブログやサイトにありますが、ここでも話題にしてみようと思います。

1)博士号に対する認識の違い
 日本では博士課程に行く人は世捨て人のように扱われる傾向があり、博士号を持っているひとを雇うと高い基本給を払わなくてはならない分、会社にとってお荷物になると思われがちで、博士号をとった後で企業に入るということはチャンス自体が余りありません。根底には博士課程まで進む人はひとつのことにこだわりすぎて柔軟でなく、コミュニケーション能力も低いと思われていることがあるようです。逆にアメリカでは第一にアメリカは大学院を出て博士号を持っていることはキャリア上強みになり、PhDをとったひとが会社に入ることは当たり前にあります。博士号を取ることはとてもすごいことだと言う認識があり、全く違う分野の会社に入ったとしても、十分に能力を発揮できるだろうという風に認識されるからだと思います。生命科学や工学の博士号をもっていて銀行で働いたり、マーケティングの会社に就職することもあり得ます。

2)学費と給料の違い
 日本では学部を卒業した後、大学院に入ると博士号を取得するまで飛び級をしない限り最短で5年かかります。その間の学費、生活費は全て自分か家族からのサポートでまかなわなくてはなりません。多くの大学院生は日本育英会奨学金という名前を使った"ローン"から借金をして、卒業後10年以上をかけて返済をしなくてはなりません。博士課程に行くことそのものが経済的にマイナスになり、社会に出てからはそれを返済するところから始まります。結果として経済的にある程度余裕がある人しか進学することができず、その人たちが企業に入ることもなくアカデミアで生き残っていこうと四苦八苦する、という状態になります。
 それに対して、アメリカでは学生が学費は形式的には払っていることになっていますが、ほぼ全額助成されます。さらにそれとは別に生活費としては十分な金額の給料がもらえます。日本の学費は私立理系でも年間120万円くらいだと思いますが、アメリカの私立だと年間300万円を超えます。それだけのお金を助成してもいいと思う人材だからサポートされるのだと思います。その分社会に還元することができるシステムなのでしょう。
 
3)教育機関としての違い
 日本では大学院博士課程と言っても名ばかりの教育機関であることが多いです。授業も適当、研究プロジェクトもも牧場状態で放置されることもあり、研究室に配属される学生の人数が膨大なためにスーパーバイザーとの距離も遠く、結果として1年違うだけの後輩の面倒も見なくてはならず、生命科学系の研究室なら動物の世話、そうでなくても雑用も廻ってきます。アメリカでは、周りの博士課程の学生を見ている限り、教育のプロセスがしっかりしているように思います。授業もあり、研究室で仕事をし始めても自分のプロジェクトがあり、スーパーバイザーとの距離も近く、しっかりと研究ができます。
 
4)学生の人数
 一人の教官に対する、大学院生の人数は日本に比べると格段に少ないです。日本だと、各学年、2-3名の卒研生(学部4年生)、大学院生を受け持つので、多いときは6-8人の学生が常にいることになります。それに対してアメリカでは一人に対して多くともトータルで2-4人のようです。この違いは何からくるのかと思うと、学費の違いなのかもしれません。アメリカは学費を多く取る分、相対的に少ない人数で大学が運営できますが、日本だと、特に学費を主な収入源にしている場合、大学の運営資金を確保するために学生の人数を集めなくてはならず、結果として一人の先生に対する人数が多くなるのかもしれません。それだけが理由なのかどうかの確証はありませんが。

5)入試システムの違い
 日本の大学入試は比較的システマチックにできているように思います。言いか悪いかはともかく。まずセンター試験で全体の中のどのくらいのランクにいるかがわかります。その後、各大学で2次試験、面接。それに大して大学院の試験はどうでしょう?ほとんど試験らしい試験をしない大学院もありますし、大学院によって試験科目、中身もばらばらです。大学院の裁量と言えばそれまでですが、分野によって、大学院によってまちまちなのは、大学院を受験する側からしても、何を勉強していいのか分らないという状況を産むように思います。
 アメリカではセンター試験の大学院版のようなものがあります。GREという名前の試験で、アメリカ国内で全て居通です。年に何回か受験のチャンスがあるそうです。GREの試験の結果によって、どのくらいのレベルの大学院にいけるのかが決まってきます。

6)研究室の体質、構造
 日本の研究室は、特に古くからある大学、大学院では教授をトップとしたピラミッド構造が残っているところがあります。医学部系の大学院では特にその傾向が強く、必然的に生命科学系の大学院も同じような階層構造を持っているところが未だにあります。教授、助教授(現準教授)、講師、助手(現助教)、大学院生と階層構造なっています。システム上は講座制をとっていてもそれぞれのスタッフが独立しているところも最近はありますが、それは教授の裁量次第であって、業界全体の意識としては、未だに昔ながらの階層構造が染み付いているのではないでしょうか。どこかの医学部のホームページを見ると未だに○○代目教授○△□と書かれているのを見る限り、意識は簡単に変わらないのでしょう。
 アメリカでは、一つのラボの規模が非常に小さく、教授-ポスドク&学生 で構成メンバーはおしまいです。教授の肩書きが助教授だったり、準教授だったりしますが、一人の教官が他の教官を従えるという状況はありません。それぞれが小さな独立したラボを形成していて、独立採算制になっています。うまくラボから業績が出ればそのラボは続いていくし、どこかでコケれば潰れます。そして淘汰されていきます。
ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
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