特徴的な日本の性格

 日本の特徴的な性格は二つあって、一つ目は全体的に日本人以外に対して排他的であること、排他的である事を是とする傾向にあるように思います。もちろん、オラが村以外の人に排他的なのは、ある程度はどの国にもあり得る事ですが、結構日本は深刻だと感じます。見た目が日本人以外の人に対して”外人”と聞こえるほどの声で言う事もありますし、基本的に見た目が日本人っぽくなければ、日本人でも”外人”枠で接する傾向があります。

 もう一つは、人の容姿を容赦なく描写する傾向にあります。テレビ番組やお笑いのネタでも、かなり容姿を直接的に言って笑いを取りますね。あれもアメリカではやってはいけないとされます。こういう、モラルハラスメントはなぜか日本の社会では許容されていますが、既に許容できる範囲を超えている事を本人たちが自覚していないのが実際だと思われます。

 人によって、体型も肌の色もさまざまです。特にアメリカに来ると本当に色々な体型の人がいます。日本では標準体型が漠然と意識の中にあり、それから少しでも外れていると直接的に言葉にして表現します。必然的に会話の中の表現方法も、デブとか、太っている、肌が黒い、などの単語が入りがちです。これは自分でも気づかないうちに使っているはずです。

 アメリカで同じような感覚でしゃべると確実に顰蹙を買います。日本人が自分達が思っている以上に日常的に他人の容姿をあからさまに表現する単語を使っていることは、日本を出るとわかるかもしれません。多分、こういうことは刷り込みですから、すぐには直らないだろうと個人的には思います。徐々に、世代が変わるごとに言葉遣いもより差別的でないものを選ぶようになるのだと思います。実際、ひと世代前の人が日常的に使っていた差別用語は、今の時代では淘汰されつつありますから。

 この両方の特徴がよく出ているのが、この追手門学院大学のいじめ自殺の事件。これらの記事を見る限り、ひどい排他的な扱いを受けて自殺した原因を、大学が組織的に隠蔽して、結果父親まで自殺に追い込んだげんなりくる様な事件です。ビンラディンなんてあだ名をつけたら、多分アメリカではかなり深刻な事態になるはずです。

インド人学生自殺 ズボン脱がされ、あだ名は「ビンラディン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101227-00000505-san-soci
産経新聞 12月27日(月)1時39分配信
 追手門学院大学大阪府茨木市)に通っていた在日インド人の男子学生=当時(20)=が大学でいじめを受け続けたとする遺書を残して自殺した問題で、男子学生が複数の学生から人前でズボンを脱がされたり、イスラム過激派テロリスト「ビンラディン」とのあだ名で呼ばれるなどの嫌がらせを受けていたことが26日、分かった。男子学生の親友が証言した。大学側はこれまでいじめの事実を強く否定してきたが、男子学生が、こうした嫌がらせをいじめと受け止め、自殺を図った疑いが強まった。

 いじめとみられる嫌がらせの具体的内容が判明するのは初めて。男子学生の友人らが結成した「自殺事件原因追及の会」に対し、男子学生と特に親しかった友人の1人が証言した。

 それによると、男子学生がたびたび嫌がらせを受けていたのは、遊び仲間だった複数の学生。人前でズボンを脱がされたり、花火を直接向けられたりしたほか、本名ではなく、「ビンラディン」と呼ばれるなどしていたという。

大学が「いじめ自殺」隠蔽 父も後追い自殺
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/434200/

追手門学院大学大阪府茨木市)に通っていた在日インド人の男子大学生=当時(20)=が平成19年、大学でいじめを受け続けたとする遺書を残して自殺したにもかかわらず、大学側が調査せず放置していたことが30日、関係者への取材で分かった。大学側は調査に積極的だった大学生のゼミ担当教授を遺族の窓口担当から外すなど隠蔽(いんぺい)工作とも取れる対応に終始。遺族は大阪弁護士会人権擁護委員会に人権救済を申し立て、「きちんと調査してほしい」と訴えている。
大学生の遺族や関係者などによると、大学生は19年6月8日、神戸市の自宅マンション敷地内で死亡しているのが見つかった。自宅がある8階から飛び降りたとみられ、部屋には遺書が残されていた。

 父母あての遺書には「学校で受け続けたイジメ(略) 僕はもう限界です。僕には居場所がありません」などと記されていた。自殺2日前の携帯メールにも大学でのいじめを示唆する内容が残されていた。

 このため遺族は、ゼミ担当教授らに、自殺原因とみられるいじめの調査を依頼。この教授が再三にわたり、大学側に早期の調査と原因究明を求めたが、大学側は「調査対象の学生の親から苦情が出る」などとして調査しなかったという。

 大学側は自殺から約半年後の20年1月、相談した弁護士からも「調査すべきだ」との進言を受けたが、「大学と小中高(のいじめ)は異なる」「別の弁護士は調査の必要がないと言った」などとして放置し続けたとされる。

悲劇は続き、自宅で療養中だった父親も約1年後、「息子に会いに行く」と言って同じ場所から飛び降り、後追い自殺した。