切ねぇ

 大学の教授たちっていうのは物を書く仕事でもあるので、意外とブログを公開している人が多いのです。実名で書いている人もいますが、匿名の人もけっこういます。ただ匿名でも書いている内容を見るとどんな研究者でどこの大学の人か、ポジション、研究分野もおおよそ推測することができます。彼らの中には大学や研究者の業界の問題点を真摯に考えて、意見を載せている人がけっこういて、同じ研究者業界のポスドクとしては、いい暇つぶしになるので読んでいるんですが、さすがに今回の東北大大学院生自殺に関してはどのブログでも言葉を選んで慎重に書かれている気がします。
 東北大学大学院生の自殺 (とりあえず落ち着いてください) : 5号館を出てこのブログではけっこう活発にコメント欄を利用して意見交換がなされていて、考えさせられます。全体としては多い意見は、大学は自浄能力が低い、という印象で、この手の問題に対する大学の問題意識も低いってこと。
 ブログを通して、日本の大学スタッフとして働いている研究者から出て来る意見を読んでいて思うのは、果たしてアメリカで同じような問題が原因で大学院生が自殺したら、どうなるだろうかってことです。アカデミックハラスメントによる院生の自殺は研究室という小さなユニットの話に留まらず、多分大学の存続問題になるんじゃないでしょうか。おそらく大学側は必死に原因究明をして、プロジェクトチームが指摘した問題点を軸にガラッと大学院生の扱いや指導の仕方のルールを変えることになるでしょうね。アメリカの大学は、研究室がそれぞれ外部資金を獲得して来て、その半分近いお金を大学の運営資金に使うというシステムをとっているので、大学を支える研究室の体質に問題があったら、大学の屋台骨がぐらつくことになります。問題がある研究室、教授やスタッフは大学の中枢からかなりの圧力を受けて、淘汰されて行くんじゃないかと思います。大学も生き残りに常に戦略的に動いていますから、日本の大学のようにノンビリと大学院生が自滅するのを見過ごす訳には行かないはずです。ここの教授も生き残りをかけて必死ですから、大学内でマイナスポイントにならないように、研究室が健全に運営されるように他からの意見を取り入れて、運営して行くはずですし、研究室や大学院生の指導が一人に全部のしかかることが無いように、セカンドオピニオンのような役割の人が必ず付くことになるでしょう。結果として大学院生が自滅するような結末にはならないんじゃないかと思います。
 日本の大学は、そう言う戦略的なもしくは政治的な発想がそもそも抜け落ちているから、大学の運営と研究室や教授の質がバラバラになってしまうのだろうと思います。独立法人かして、親方日の丸ではなくなってからは徐々に変わっていっているのでしょうが、体質という物はすぐに変わることではないでしょうね。
 そんなことをあれこれ考えるとただただ切ないだけです。