ヒトとモノ

 これは私がいる分野に限っての知識なので、他の研究分野では必ずしも当てはまらないかもしれませんが、アメリカの大学での研究は日本と勝手が違うところが多くあります。例えば研究室のメンバーの中には"Technician"という職の人がいるのですが、これはそのまま訳すと"技官"、"技術員"となります。日本の大学の研究室にも技官という役職の方がいますが、両者の仕事振りは大分違うように思います。
 こちらでいう研究室所属のTechnicianは、雇用自体も研究室からされているため、当然その研究室のための仕事をします(そうでないTecももちろんいますが)。それに対して日本で古くからいる技官は大学に雇用されている大学職員であるため、どこかの研究室所属にはなっていても、必ずしもその研究室のための仕事をしているとは限りません。こちらのTechnicianは雑用から実験機材の技術的なところまでやってくれるため、研究者は研究に専念できます。
 こういった違いが起こるのはなぜか考えてみると、予算のうち人件費に使える割合の違いにあるように思います。日本で研究予算というと何かの機材を買うための予算であることが多く、人を雇うことにお金を使うことができにくくなっているそうです。これは研究をするためにお金をつぎ込んで獲得すべき戦力とは"ヒト"ではなく"モノ"という考えに基づいているのだと想像できます。アメリカでは逆に"モノ"は使えるなら古いものを使い続け、優秀な"ヒト"を戦力として獲得することが、いい仕事を残すために必要なことだという考え方があるのではないかと思います。
 日本の研究室ではすごく高価な機材がが使われずにゴロゴロと転がっていて、こんなに転がっているのなら研究室間でバザーでも開催して使ってくれそうなところにあげればいいのに、と思うくらい(あるところには)ありますが、こちらではそういったことは少ないのかもしれません。もしくは、実際に使わなくなった機材あ使ってくれる研究室に譲渡が楽にできるのかもしれません。考え方の違いひとつで仕事の環境は大分変わるのだと思います。