一本筋が通ったリーダーが後の危機を救う

 後々に評価される指導者は、その時に他の人に批判されても鉄の意思で自分の考えを突き通す傾向があるように思います。一本筋が通った村長さんがいたから、この村からは防潮堤内での死者は一人もいなかったのでしょう。

明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手

 津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代(ふだい)村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。
 防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。既に一部が完成し60年にチリ地震津波を防ぎ、「万里の長城」と呼ばれた同県宮古市田老地区の防潮堤(高さ10メートル)を大きく上回る計画は当初、批判を浴びた。
 村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。
(2011年4月3日22時05分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00599.htm