これからどんどん大学院離れは進む

 京大大学院の生命科学系の研究室で鬱になった人の話。大なり小なり同じような状況がどこの研究室にもあります。この話は他人事じゃないし、自分が生命科学系の研究者になることを人に勧めるかと言えば、勧めない。大学院で2年なり5年なり研究すれば、仮に”いい研究室、いい指導者にめぐり合えば”論理的思考が身につくしいい仕事が出来る可能性はあるけれど、多くの研究室はそんなこと無いと思う。

 自分の大学院時代を振り返っても、やっぱりいつもストレスにさらされていたし、ちょっと自分でもおかしかった時期はあります。妙に神経が苛立っていて、鬱までは行かなかったけど、一歩手前だったときもある。目の下が一時期常に痙攣していたこともあるし、夜中に神経が苛立って生活がおかしくなっていた時期もある。たぶんその頃は研究室の雰囲気が全体的におかしかったんだとおもう。チョコボールを一生懸命買っていた人もラボの中にはいたし、実際にうつ病になって研究室を去っていった人も複数います。まあ、これは直接の指導者がひどかったんだけれど。みんな夢と希望を持ってはいってきたはずなのに、なんだか殺伐としてどうやってこの状況から脱出しようか考えていた気がする。学生が沢山いて活発に議論ができたし、他のラボのとの交流もあっていい面は沢山あったけれど、人によってはストレスに耐え切れずにやめていった人もいました。

 研究室のメンバーになっても、放置プレイで大学院生を放置する研究室はいまだに多いし、一つの研究室に20人とかの学生が押し込められて、学生同士で先輩が後輩を教える構図が出てきて、結局質は高くない。自分を振り返っても、痛いくらいにそういう環境に慣れていたのを思い出します。教授たちは雑用と授業に忙殺されているし、とても研究者を育てるところにはなっていないのが現状です。今の教員達も、自分はそうやって研究者になれたから、君たちも何とかなるでしょ的な発想でいるんだろうと思います。

 結局、教授たちも、どうしていいのか分らないんだと思う。自分達は永久職のポジションを確保したけれど、研究が出来る時間はとても少ない。共同研究できる研究室メンバーは殆どが学生だし、ドクターを持っている若手研究者を雇えるお金はない。結局学生を労働力として使って、論文は時々書く、と言う風になります。一部の競争力のある研究室を除けば、どこも似たり寄ったりでしょう。 

たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない
http://anond.hatelabo.jp/20090222224732

 大学院の試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、研究室での人間関係は悪くなかったし、周りが「当然同じ研究室の大学院に進むんだよね?」という雰囲気(実際に助教にそう言われた)もあり、大学院に進学。

 いよいよ生活は実験実験の日々。実験が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみはチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、研究室にいるころには金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の院生や、学部生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど学校に来ていなかった。

 信じがたいことに、天下の京都大学大学院(今となってはこんなこと思っていた自分に失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や動物の管理の負担はおれに圧し掛かる。研究室に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分が実験している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。実験のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。

 秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように研究室を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。

。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた研究室では、学生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に研究室を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、研究室を去っていた同期や、他の研究室にいる友人と話してみても、日本の大学、大学院の研究室には、「大学は研究機関であると同時に、教育機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。

現実に、おれのいた研究科ではほとんどの人間が博士を取れていない就職先も絶望的。教官のなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、学生の立場からみると、若い人間に不利益を押し付けているだけにしか見えない構造がある。科学技術立国を目指しながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。学会の長も務めたさる大御所が、「日本の研究は院生によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、学部で就職した人間とくらべて、ドクターを取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない

おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜研究を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。