最前線の研究者が断じる脳の迷信

 茂木健一郎氏をはじめとする脳科学者と自称する人たちが脳を鍛えるとか、脳科学的にいいとか悪いとか、真贋織り交ぜて話すことでここ数年脳科学を良くも悪くもブームにしています。神経科学を広く一般にわかりやすくすると言う観点から言えば、いい効果もありますが、やたらと”脳を鍛える”だの、”脳にいい”、とか"脳科学的に"など、今まで聞いたことのないような言葉を呪文のように使い、あたかも脳の全てが解明されたかのような誤った印象を与える文句を繰り返し使い、なおかつ自らは何もしていないのにこれまでの研究をうまく言葉をすり替えて都合のいいように商用化していることが目に付きます。

 神経科学の研究現場では、今自称脳科学者の人たちが宣伝しているようなことは非常に懐疑的に見られています。テレビに出ている脳科学者と自称する人々の殆どが神経科学の研究をしていないか、もしくはしていたとしても最前線で科学を行っていない人が殆どです。元脳科学者であった人の妻*1なる人が幼児教育について脳科学的観点から話をする、というような番組も目にしました。しかし、実際に言っていることは脳科学とは別に関連しない、極当たり前のようなことばかりだったりして、ノウカガクという言葉をうまく使って、利用しているだけです。

 根拠のないことをあたかも最新の研究結果に基づいているかのように吹聴してテレビ出演している人に対して、阪大の藤田一郎教授*2が講演で脳トレを題材に脳科学に関しての事実誤認を丁寧に解説したトークのビデオを貼ってみます。このトークでは、特に脳トレのブームの根拠になった川島教授(東北大学)の原著論文の問題点と、脳トレの宣伝で使われている言葉のすり替えを解説していっています。

 一般的に、基礎科学の研究結果は即物的な効果があるものは少なく、毎日の実験、検証による事実の積み上げによって少しずつ理解が進んでいくものです。一つの研究で劇的に認識が変わることももちろんありますが、一つの研究でガラッと科学が進むことはざらにあるものではなく、大抵はその研究結果に対する反証が後に出てくるものです。脳トレのように、特定の人がやった一つの研究結果を自分に都合よく解釈して説明されると、あたかもそれが正しいかのような錯覚を犯しますが、その研究結果の間違いや、結果を解釈する他の可能性を捨ててはいけないのです。一連のニセ科学、自称脳科学者達の宣伝は、そこを全く無視した結果、うまい宣伝文句に成り下がっただけのように思います。


脳の迷信 1 of 6 (藤田一郎)

脳の迷信 2 of 6 (藤田一郎)

脳の迷信 3 of 6 (藤田一郎)

脳の迷信 4 of 6 (藤田一郎)

脳の迷信 5 of 6 (藤田一郎)

脳の迷信 6 of 6 (藤田一郎)

*1:この番組に出てくるのは、元京都大学霊長類研究所 教授の久保田競氏の妻。久保田氏が買った専門書を読んで脳について独学で勉強した知識を生かして賢い脳を育てる幼児教室を主催しているようです。育児に関する知識には確かに幼児の身体機能に即したやり方を実践しているようですが、"脳科学的"な特殊な方法とは言いがたい。むしろ、子育てに一家言あるおばあちゃんが、脳科学という言葉の威を借りて、うまく相手を納得させているだけのように見えます。久保田競氏と言えば、実は脳トレの提唱者の東北大の川島教授の恩師でもあるそうです。

*2:藤田一郎氏は、大阪大学生命科学研究科の教授で、脳科学研究の最前線に立つ神経生理学の研究者です。92年に大脳皮質下部側頭皮質には、同じようなものの形に反応する細胞群集まって、コラム構造を形成している事を発見しました。その後、それまでは無いとされていた両眼視差選択性細胞(ものを立体的に見るための手がかりに反応する細胞)が大脳皮質下部側頭皮質にある事を見出し、2000年に発表しています。現在も脳神経科学、特に視覚に関する研究で最前線を走る研究者です。