運営費交付金の削減の結果

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 博士号をとったのに、どうして僕は大学教員にならないのか。

 博士になったら、任期なしのポストに就くまでは給料が少なく、生活は不安定で、将来の見通しがつかないから、結婚ができず、子どもも持てない。

それは僕が大学生だった10年前から、何も変わっていない。

(『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)』が出版されたのは2007年)

 いつかそんな状況になることをわかっていて、それでも僕は大学院に入った。

それくらいハカセに、大学教員という仕事に夢があったからだ。

 大学から追い出されるわけじゃない。

なにがなんでも大学にしがみつこうと思えばできる。

非常勤講師をやるなり、無給研究員になってお金はバイトで稼ぐなり、自分ひとり食いつないでいく方法ならいくらでもある。

芸人、俳優、ミュージシャン。いつか夢をかなえるために、そんなギリギリの生活をしている人たちはいる。夢のためなら人間はそれくらいできる。

なんで今の僕はそれができないのか?

 大学教員に夢がなくなったからだ。

 ポスドクをとりまく環境はずっと変わっていない。

変わったのは、大学教員という職業だ。

 大学の法人化で、運営交付金が1400億円以上減った。1

研究資金を得るために使う時間が増え、大学教員の研究時間は25%減った。2

日本の研究発表数は今も減り続けている(2018年までの7年間で20%減)。3

(参考:1日本経済新聞 2019/2/2 2 令和元年度版科学技術白書  3Nature Index 2019 Japan)

 

若い研究者は今の大学で生きていくだけで毎日必死で、古き良き時代を過ごしたゆとりある先生たちは団塊世代の大量退職とともに消えた。

僕が学生の頃に、いつかこうなりたいと憧れた先生たちはもういない。

 

日本では大学教員の評価システムが定着し、競争の時代になった。講義シラバスの公表を義務付け、授業内容を学生が評価する大学がほとんどだ。インターネットを検索すれば、教員の業績がわかる。発表論文や著書、受賞歴などがリストになって出てくる。そしてマスコミや政府が競争を煽る。

 だが、やりたくない研究に何の意義があるのか。履歴書の厚みは増す。しかし個性は殺される。「客観的」で「公平」な評価方法は質より量を重視し、常識を疑う少数派の金脈を潰す。(中略)書類作りが増え、教員の官僚化が進行する。すでに教授は研究者から中間管理職に変質した。

 小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』pp. 128-129

 「もう大学教員になりたいと思わなくなった」

それが大学教員にならない一番の理由だと僕は思う。

夢がなくなった。実際に日本だけ博士課程の進学者数が減り続けている。

みんなハカセになんかなりたくないのだ。

そんな哀しいことがあるか。