避難と屋内退避命令

 原発事故の避難方針は、原発から20キロ圏内にいる人は完全避難。20キロから30キロまでの圏内の人は屋内退避でしたが、まだ変わっていないようです。この20キロ、30キロという範囲の基準は何なのか前から不思議に思っていました。たぶん原発1基が事故を起こした場合の避難範囲が20キロだか30キロ高だった気がしますが、原子力発電所内の6基中4基が爆発したり火災を起こして放射能が漏れている現状では、誰が聞いても納得のいく根拠ではないはずです。

 避難しないよりはましですが、この屋内退避をしなくてはならない人たち、どうやって生活しているんでしょうね。津波の被害はなくとも、地震によって恐らく屋内はグチャグチャになったはずです。それを片付けて、最低限のスペースにいなくてはならない。屋外にも出れない、必然的に買い物にもいけない。いけたとしても物資なんて届かない。電話も通じない、となると、完全に陸の孤島です。

 物資が届かない避難所はまだまだ沢山あるでしょうが、そこに人がいることが分っていて、強制的に屋内退避を命じておいて、何も支援しないんだとすればひどいものです。

“平成の棄民”を見捨ててはならぬ!
 南相馬市は、東京電力関連の原発交付金原子力発電施設等立地地域特別交付金を1円も受けていない、即ち”飴(あめ)”とは無縁の街です。
 市内の一部が、東京電力福島第1原子力発電所から30km圏内に位置する南相馬市の住民は今回、「屋内退避」を政府から命じられます。が、驚く勿(なか)れ、その指示は「報道」を通じて、市長も知ったのです。政府から市役所に「連絡」が有ったのは地震発生から1週間後。人工股関節全置換術の手術で入院中の私がメールで官邸直通電話を伝え、彼が”直訴”して初めて、「反応」が有ったのです。「屋内退避」も”地域主権”で実行せよ、と捉えていたのでしょうか?
 「南相馬市から出るな。屋内退避を続けろ。物資も自己調達せよ」と”自助自律”の”鞭(むち)”を政府は打ち鳴らし、運送会社も”被爆(ひばく)”を怖れ、物資は何も届きません。太平洋戦争時の硫黄島と同じ”棄民”状態です。

届かぬ食材、閉まる店…福島・南相馬、深刻な食料不足

福島第一原発の北にある福島県南相馬市放射能を恐れる人が次々と街を離れた。人口7万人の市に、残るのは2万人。物資の輸送が滞り、各世帯の食料は尽きかけている。市の関係者は漏らす。

 「このままでは餓死する人が出かねない」

 「避難した人も不安、残った人も不安だよ」。同市鹿島地区の農家鈴木浩さん(65)は語る。原発の半径20〜30キロ圏に一部がかかる1万1千人の同地区。残っているのは1300人ほどという。

 近隣の店も閉まり、食材は隣の相馬市まで車で20〜30分かけて買いに行く。走行距離は平均40〜50キロ。食事は自分の家で作った米と缶詰、ソーセージなどが多い。
http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY201103230384_02.html
朝日新聞