なんの役に立つの?〜事業仕分けの結果に思う

 最近意識させられるのは、"事業仕分け"のニュースです。民主党が既に予算を組まれた中身を検証して、必要なもの、不要なものに仕分けしている様子が公開されているようです。特に科学技術系の予算がバッサリと切られたり、削減されたりしているのには、科学の分野に身をおいているものとしてはガッカリさせられます。
 仕分け、というのは実際は各予算について担当の省庁にきてもらい、インタビューをし、質問に対するプレゼンがうまくできれば納得して可とし、予算の意義、根拠をうまくプレゼンできなければ不可とする、というやり方のようです。これについては多くのニュースやブログで語られているので特にここでは書きません。
 気になるのは、仕分け人と位置づけられた人たちが聞く質問内容です。特に科学系の予算に関して聞かれることが”この研究予算を通すことによって、わが国民にどういう利益があるのか?”という質問だったことです。サイエンスの、特に基礎研究が、"わが国民に"どういう"利益になるのか"という聞き方は、基礎科学と、応用技術の違いが分っていないことの表れです。
 基礎研究はあくまで基礎であって、それが直接、そして直ぐに何かの役に立つことは少ないでしょう。けれど、基礎研究の土壌があって初めて応用研究ができるのであって、膨大な知識や、研究の積み重ねがあるから、そのアイディアや小さな事実の積み重ねを使って新しい技術が開発できるのです。
 脳研究についても同様で、実際に臨床に役に立つような研究は多くはありません。特に基本的な脳機能、ネットワーク、可塑性と呼ばれる神経結合の変化、知覚や判断にどういう大脳皮質領域が使われているのか、など一見するとただ興味を追求するような基礎研究を積み重ねているだけのように見られがちです。
 しかし近年では、こういうバックグラウンドを応用して、脳活動から情報を読み出す研究が実現されたり、半身麻痺の人が脳活動からロボットアームやマウスカーソルを直接操作する応用研究がされたりしています。
 小学校、中学校、高校と基礎的な勉強をしているからこそ、新しい技術を生み出す発想が生まれるのと同じように、基礎研究という土壌があるからこそ、応用研究が生きてくるのです。こういう発想が理解されないことが一番の問題だと思います。

 科学が何の利益になるのかといえば、「人類共通の利益になる」という言葉が一番あっていると思います。

17日の第3グループ。財務省の主計官が宇宙航空研究開発機構人工衛星打ち上げについて「水星探査が国民に利益をもたらすのか」と述べると、仕分け人で科学者の松井孝典・東大名誉教授は「人類共通の利益になる」と反論した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091118-OYT1T00114.htm

 個人的には事業仕分け作業自体については、悪いことだとは思いませんし、それを公開したことはよかったと思います。科学技術に対して、実際どういう意識が議員や政府側にあって、何が欠如しているのか。文部科学省や科学者側がどの程度自分達の存在意義を、他の人たちに伝えられるのかが分るいい機会でした。
 結果として、議員や政府側は基礎科学の意義については、天下りや無駄遣いと同じ程度にしか意識していないことが分りましたし、文部科学省の人達にはそれほど予算の意義を説明できなかったことも浮き彫りになりました。
 
 文部科学省は、仕分けの結果に対する反論をネット上で公募しているようですし、各学会も反対意見をまとめるので動き出しています。サイエンスに関わる人間が、自分達はここにいるということをアピールするのに本腰を入れるチャンスになったともいえるかもしれません。

 まさに、国全体で意識の変革の時期に来ていると感じます。