教えること

 月に2回、合気道の稽古を前に出てリードしています。道場長が不在の日なので代稽古のはずが、今までずっと休みにしていた道場長のVicも最近は私のクラスの稽古に参加するという不思議な状態になっています。稽古のメンバーに道場長もいると言うのは、やりにくいものですが、最近は慣れました。
 そう考えるとVicという人は寛容な人だとつくづく思います。彼は元々英国軍人で、世界中あちこちに勤務していたのですが、それとともに17歳のときから始めた合気道を細々と30年以上やってきた人です。合気会だけでなく、富木流合気道をやったこともあったりして、面白い経歴の持ち主です。要は勤務地に自分がやっていた流派の道場が無かったから、色々な道場を巡ったということなんですが、その分経験も豊富と言うわけです。自分で道場を運営するようになってからも、最近は大東流合気柔術に興味を持って、人を招いて稽古をつけてもらったり、日本で稽古をした経験がある私にクラスを一つ持たせてくれたりと、柔軟でとらわれない姿勢には感心させられます。その為か、ここ1年ほどで10人ほどだった道場生も20人を超える所帯になったようです。

 合気道を何年も稽古して来ていても、実は人に教えると言う経験はほとんど無かったのですが、アメリカ人に、英語で合気道を指導する(というとおこがましいですが)ようになって色々自分の稽古を振り返ることができています。今まで道場で習って、さらに自分で考えて消化してきた技を人に説明をつけて教えていると、基本が大切だと言うことがつくづく分ります。基本の技や動き、受身ができている人ほど飲み込みも早いし、それをスキップして来た人はやっぱり癖がある動きになります。
 自分が指導する日が月に2回しかないと、あれこれとメニューに盛り込みたくなってしまいます。始めの頃はたくさん技をやろうと稽古の予定を作っていたのですが、受身や剣の型、基本稽古を入れると大体1回の稽古で技らしい技は数個しかできないことがわかってきました。最近は1,2の技のために、まず基本の動き、足さばきを練習して、それから技というメニューになっています。
 考えてみると1回の稽古で人間が学び取れることはそれほど多くありませんから、少なくてもいいのかなと思うこのごろ。その分稽古回数をこなせればいいのですが。日本で指導していただいていた師範はどんな風に日々の稽古つくっていっているのかなぁと考えるこのごろです。