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謎かけ

これは面白い。面白いというか、自分を振り返るいい機会かもしれない。

 

togetter.com

 

子供相手に限らず、相手に問いかけるときに謎かけのような話し方、したことはないですか?答えは決まっているのに、相手にわざと質問してみたりした経験はないでしょうかね?問いかける側のなかで答えが決まっているのに相手にわざと意見を求められるのは、とても困ります。意見を求められているのかとおもって真面目に答えて、相手の意に反した答えになると失望されるというのは、聞かれた側としては情けなくなります。答えが決まっているならこちらの意見を求める必要はないわけですから。”じゃあ聞く必要ないじゃん”と思ってしまうんですね。意見を求めているのではなくて、ただ単に同意がほしいなら、同意を求めるような声掛けをすれば済む話です。

 

こういうあいまいな短い文章で意味のいまいちはっきりしない内容から、相手の求めていることとその背景を読み取るなんてちょっとした連想ゲームのようです。

 

してほしいことはハッキリしてほしいと表現しないと、相手の真意を読む作業に入らなくてはならなくなります。こういうことを繰り返していると、相手が聞いてきた問いかけの内容が重要ではなくなって、相手が何を求めているのかを測るような戦略に変わっていきます。最終的には、相手が何をしたら失望しないか、という思考方法になって、最終的に何も明確な意見を言わないことがその場をダメージを受けることなくやり過ごすベストな方法だということに気づきます。聞かれたから自分の意見を言っただけなのに失望されたり、反発されたりするくらいなら、黙ってた方がいい、と思うようになるだろうし、それを続けているとそういうコミュニケーションしかできなくなるような気がします。

 

こういうことって結構いろんな場面で出くわすんですが、どのケースでもあまりいい思いをしません。職場の上司があいまいな意見を言って濁して、あとは相手任せ。期待したとおりにことが進まないと後になってからネガティブなことを言われたり。家庭内でも起こり得ますね。複数人数が集まった会議でも、そのグループで一番発言権がある人がしゃべって、他の人に何か聞いても聞き方は大抵ざっくりした聞き方だし、それに対して他のメンバーが積極的に意見をぶつけ合うことはあまりありません。はたから見ているとばかばかしいくらい無駄な時間を無駄な会議に費やして、結局何も結論が出ない何のためにここにいるのかわからないようなミーティングはよくあります。

 

そんなわけで、話をするときはテーマをハッキリさせること、意見を求められているのか同意を求められているのか不明な時はなるべく聞くようになりました。

 

区別しなくてはならないのは、相手の求めていることを予想したり汲み取ったりして行動できるかどうかと、あいまいな問いかけから行間を読めるかどうかは全く意味が違う行動になるということです。

 

ここまで書いてきましたけど、じゃあ自分は自分の子供たちに、どういう声掛けをしているかなぁ。