バイアス掛かりすぎ

 最近の政治の状況を見ていると、ずいぶん与党の議員の発言がかかっていますね。多分数年前ならそこまで言わなかっただろうというようなことを言っている議員が多いのは、首相がそういう方向に行っているという空気を読んでのことなんでしょうね。そうしないと、その組織のいい珍として認めてもらえないからなんでしょうか。それにしてもそれは自分の本心なのかと思うような発言をしている人を散見します。もともとの考えなのか、自分の村のトップの意見にバイアスされてのことかわかりませんが、なんにしてもここ数年で一気に言っていることが変わってきています。空気読みすぎというか、意見にバイアスがかかりすぎです。

 

 ここ数週間は、あちこちで安保法制反対のデモが増えてきたりして、だんだんと風向きが変わってきているように感じます。ちゃんと自分の意見を言える人が増えてくるのはいいことだと思っていますし、自分も流されないようにしなくてはと思います。誰がいつ、何を言ったのか、今はほっておいてもネット上のログに残ります。今の発言が今後どう表れてくるのか、興味深いところです。

 

 政治の話もそうですが、往々にして組織の影響力のある人の顔色を見て自分の意見を述べるのは、日本に限ったことではありませんがありますよね。やっぱりその組織でいいポジションでありたいと思うのはわりに自然なことだし、トップに目を付けられたくないと思いながら過ごすのは普通の感情としてわかります。でも、多分日本人は他人の意向にバイアスがかけられすぎる傾向は否めません。空気を読めKYみたいな言葉がつくられたことからして、空気を読むこととと、自分の意見を持たないことの区別がついていないようなきがします。たまに自分の意見を言う人がいても、出る杭は打たれてつぶされておしまい。潰す側はなにか自分が正しい事でもしたかのような錯覚に陥ってつぶしているんでしょうけど、全体の利益を考えれば、いい意見を言った人が尊重されない状態はいいわけはない。

 

 Tkが今いる職場でもそういうことはあるし、多分どこでもそういうことがある。大きな声を上げて、意見を言う人や、影響力がその時点である人の意見に流される、そういうことが起こりやすいのは、悪しき慣習と言わざるを得ません。

 

 今右寄りの発言をしている人だって、多分数年たてば真逆の意見をっていたりするんでしょうね。今信念を持って発言しているわけじゃない人は特に。