紹介されて

 去年、アメリカで最後の年にやった仕事がようやく論文になったのですが、先月誰でも名前を聞いたことがある雑誌の姉妹紙に紹介されていました。ありがたやありがたや。自分の仕事がまがりなりにも他誌の記事に紹介されるのは、この仕事をしていてうれしい出来事です。それだけ、いい仕事だって評価されたってことですから。

 最近研究業界も、社会へのフィードバックや広報を求められることが多くなっていて、大学や研究所も盛んに広報担当を設置してアピールしています。新聞記事に新しい発見が!みたいな記事を載せているのは大抵そこがソースなんです。今までも色んな発見や開発があったんですが、多分以前にも増して、ここ数年よく目にすることが多くなったんじゃないかと思います。

 ただ、これはこれで問題もあって、研究の紹介をするときに、意義をわかりやすく説明するために、多少誇張して言う傾向があると感じます。この傾向は広報担当者のほうが多分強くて、現場の研究者と、同じ組織だけど広報担当の人とのあいだで、どういう記事するのかというせめぎあいもあったりします。

 広報の人はなるべくわかりやすく、しかもすごい発見だったと書きたいという意識があって、ネガティブなことはなるべく書かずに、いいことを強調して、高い評価を得たいという欲求があります。それに対して、現場の研究者は事実をなるべく誠実に伝えたいし、ミスリーディングは避けたい。何がわかって、何がわかっていないのかを伝えたい気持ちが大きいのです。だから、いい研究がでたあとで広報をしなくてはならなくなったときには、案外こういうせめぎあいで消耗するという話を聞きます。最近は、いい仕事はしたいけど、広報で消耗したくないという話を同業者から聞くようになりました。 

 そのあとで新聞なりのニュース媒体にのるわけですが、ここでもまた科学記者のフィルターがかかります。彼らは研究者のいっていることをそのまま伝えるとは限らないし、きちんと理解しようとせずに記事を書くことがおおいようで、大抵肝心なところが欠落していたり、微妙に事実がゆがめられて報道されていることがあります。概要はあっているので、読者にとってはどうでもいいことなのかもしれませんが、これをちゃんと補正していかないと、例のオボカタソウドウやモリグチソウドウになる可能性がありますから気をつけなくてはなりません。

 先日科学ジャーナリストなる人の講演を聞いたのですが、彼らのいい分は、研究者が言ったことを一応はきくけど、そのまま記事を書くわけではないし、ジャーナリストが思ったことを書きます。という趣旨でした。研究者から話を聞いても、違うことを書くこともあるという旨のことも言っていました。ジャーナリズムはただの研究紹介じゃないから、というのが彼の言い方でした。ただ、これだと事実が捻じ曲げられる可能性があるし、それも否定していませんでした。なるほど、だからニュースやテレビでえせ科学がどんどん広まっていくのかもしれません。

 研究を紹介してくれる人がどれくらい信頼できるのかを見極めなくてはいけない時代になってきているのかもしれません。