オーサン

アメリカでポスドクをやってたときにできた友人は、今は色んな所に散らばっているんですが、オーサンもその一人。彼もTkと2年違いくらいで同じ研究所で働き始めた人で、子供も同年齢。お互いも殆ど同世代。同じアジア人ということもあって、食事の話や文化の話はよくしました。

 政治や戦争のようなデリケートな話はたまにしかしませんでした。そういう話になった後気でも、あんまり日本人に攻撃的な感じではな買ったように思います。いい距離で話をできる人だったのはたすかりました。たまにしかしないその手の会話でも、圧倒的に日本人はWW2の知識や現代史のことをよく知らないことをまざまざと思い知らされたのを今でも覚えています。

 日本の映画については夫婦そろってよく見ていて特にTkの親の世代が親しんだような、黒沢映画や他の有名な(私はよく知らない)映画の話を知っていました。Shunが生まれるときに一度呼ばれて食事をしたのですが、その時にKさんが英語はしゃべれないのに映画の話になるとTkやTmはそっちのけでオーサン夫妻と3人で大盛り上がりだったのはとても面白かった。言葉なんてなくても、共通の話題さえあればこんなに盛り上がれるんだと驚きました。

 その彼、6-7年ポスドクをしていたはずだけど、最後のほうで自分のボスが急死したり、色々大変だったみたいだったのですが、ようやく母国でポジションを得たとの連絡。ボスが急死したときには訃報が業界を駆け巡ったし、ポスドクの途中でそういう事態になるってのはとてもつらい。それでもいろんな人の助けが多分あったのでしょう、この1年くらいでバタバタと状況が変わった要です。

 ポスドクのポジションでアメリカに一生いることはできないし、PIのポジションを取るのはかなりの競争率です。どちらにしてもビザやグリーンカードの問題はついて回るので、一番楽で安定した生活ができる選択はやっぱり母国に帰ってアカデミア(もしくは企業)のポジションにつくことのようです。アメリカの企業に就職するのも手かもしれないけど、色々複雑なような気がします。子供のこと、老後のこと、保険のこと、国が違うとどうしても不確定要素がおおいですからね。オーサンも論文も出て、ポジションも取って、よかった。