最近笑っているか?

 アメリカ人で、日本で就職をしようかと本気で考えていた人と会ったことがあるのですが、結局彼はやめたんだそうです。国際インターンシップで数か月滞在して、日本のどこかの企業で働いていたようで、その後そのままそこに就職しようかと悩んでいたんだとか。なんでやめたの?と聞くと、そこで働いている人みんながHappyじゃなく見えたから、と言っていました。働いている人はみんな辛そうで、苦痛そうだったんだそうです。もちろん彼はアジア系でなく、ヨーロッパ系のアメリカ人で、日本語ペラペラ。韓国語もしゃべれる語学力の持ち主です。日本で生きていくにも困らないくらいでした。その後アメリカに戻って博士課程にしばらく通った後、大都市の企業で働き始めました。

 

 確かに、日本で働き始めて、毎日Happyそうなひとはそんなに見かけません。そもそもそんなに笑顔でいる人がいない。まあ、日本人で道を歩きながら笑っている人がいたら、ちょっと気持ち悪いとおもってしまうかもしれないけど、それにしても無表情の人が多い。1年半たって、私もだんだん顔が無表情になってきているのを感じます。

 

 職場でも、みんな親切だけれど、その小さな社会の中に暗黙のルールがあって、それを少しでもはみ出ると打たれる。徐々に些細なルールの縛りを感じていって、段々と余計なことは言わなくなります。発言しないことが安全に生きる方法だと感じるようになるからです。そういう雰囲気だと、自分が守っているルールを少しでも外れると許せなくなるのか、細かいことを言う人が出てきます。例えば、だれかが物を定位置にしまっていないのを見つけて怒り出す人を昨日見つけて、驚きました。誰がやったのか犯人捜し。他人の不手際を責める様子を見るのは心が寒くなります。笑顔を作る気も失せてくるのが最近よくわかります。アメリカはいい加減でよかったなぁと思う瞬間です。

 

 肝心なところをおさえて、どうでもいいところは縛らない。そういうところはよかったし、過ごしやすかった。犯人捜しをするより、どうすればプラスになるのかを考える、そんな雰囲気だから、日々笑っていられたのかもしれません。今は?いまはちょっとネガティブに感じることが多いような気がします。こういうことは子供にも伝播するし、プラスに変えていかなきゃいけないんですが、不思議なもので、なかなかそうはならないですね。

 

 毎日どっぷり同じ環境に使っていると、ついつい忘れがちです。そこに順応するということは、自分のIdentityを捨てて、シキタリに従うことに近い。それが嫌なら出ていけばいいということになります。打開するにはどうすればいいか、いい精神状態にするにはどうすればいいか、そんなことを考えながら生活していかなくてはならないと、感じます。

 

注)上記は、病んでいることを書いているわけではなく、最近考察した雑感を綴っているだけです。