違和感

 日本に帰ってきて、違和感というか不思議な感じがするのは、震災や原発の話が殆ど日常のなかに無いこと。もうすっかり慣れてしまっているというか、事故直後ならトップニュースになるような汚染水の漏れや、高濃度のセシウム、ずさんな事故検証、自分本位な原発再開基準、殆ど無意味な被害者保障など、なんというかスルーされている感じがします。

 

 昔もそうでしたが、原発関連のことってなぜかこうやって無かったことになって時間がたち、事故が起こると騒ぎ出す。なんなんでしょうね?

 

 写真を撮ってくるのをすっかり忘れましたが、アメリカにも電話帳って当然あるわけです。そのなかに公共施設や役所の番号の記載があるページもあるんですが、そこに災害時の連絡先とか、どう行動したらいいのかということも書いてあるんですが、そこにちゃんと原子力発電所の事故があった場合どうするか、というページもありました。

 

 リスクを伴う設備がある場合、最悪の場合どうするのかというマニュアルがあるのはどの世界でも当たり前だと思っていたのですが、日本の場合は最悪の場合は知らないふりをする、無かったことにする、という暗黙の了解があるのが不思議です。

 

 反原発の活動家の人たちがすべて正しいとは思わないけど、そういう考えを発するのは当然だし、政府よりの考えが間違っていることが多いのはすでに実証済みですから耳を傾けなくてはいけないと思います。

 

 この間参議院議員選挙に行ってきたんですが、あの投票率の低さは何なんでしょうね?あとは投票時間を短縮している自治体があったり、子どもを入れてはいけないというローカルルールを作っている投票所があったり。